明石には、100を超えるため池があります。そのほとんどは江戸時代に造られ、農業のために利用されてきました。農家の人々にとっては、“命の水”として大切に受け継がれてきました。しかし、時代とともに変化し、今では洪水調査や環境保全、そして親水空間や環境学習、さらには地域の文化遺産としての関心が高まっています。
明石川から加古川にかけては、いなみ野台地(東西約20km、南北約15km、標高140〜20m、北東から南西に緩やかに傾斜している)と呼ばれる台地があります。この大地上には大小合わせて1万個を超えるため池が広がっています。この台地の東端に位置し、100を超える明石のため池は主に西部の農業の盛んな大久保町や魚住町に多く分布しています。また、兵庫県全体では、約3万8000個のため池があり、全国第1位でため池王国ともいわれています。
いなみ野台地に分布するため池を造られた年代別にみますと、江戸時代以前、江戸時代、明治から昭和初めの三期に分けることができます。しかし、多くのため池は、江戸時代に造られています。夏冬を通じて雨が少ないという気候的要因、水源となる大きな河川がないという地形的要因、さらには、戦国時代以降の築城や鉱山採掘などの技術が江戸時代の新田開発に導入されたことなどが主な要因と考えられています。江戸時代以前のいなみ野台地は、水利の便が悪く、引水する大きな河川もなく、一部を除き荒野のまま放置されていました。
それでは、それぞれの時代の代表的な明石のため池を見ていきましょう。