マンボ(マンポ)

90 ~ 90 / 94ページ
 いなみ野台地のため池を調査していますと、地元の古老から農業用の素掘りのトンネルがあり、また、そのトンネルを「マンボ」「マンポ」と呼んでいたことをよく聞きします。一般に「マンボ」と言えば、三重県鈴鹿地方の横井戸が知られていますが、農業土木の分野では、「マンボ」を「素掘りのトンネル」と定義し、その機能と生産的意義の観点から3つの種類に分類されていますが、いなみ野台地に分布する「マンボ」は、導水型マンボ(通水機能)と考えられています。
 現在いなみ野台地で20数カ所の「マンボ」を確認しています。明石市内では存在した場所は確認できますが、区画整理などで埋め立てられており、当時の姿を見ることはできません。水利組合の文書の中には、「マンボ」と記述された地図が残っているところもあります。
 いなみ野台地に分布する「マンボ」の歴史は浅く、明治の中ごろから大正時代にかけて多く作られています。未だ詳しい調査がなされていませんが、旱魃など厳しい条件のもと、ひたすら水を求めて米作りをしてきた農家の知恵と努力の結晶である「マンボ」を記録し、次代に伝えていきたいものです。

稲美町草谷に残る「マンボ」(素掘りのトンネル)