由来

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 祭神から考えると少童海命(わだつみのみこと)は海神系の神であり、他は八幡神系の神で、少童海命が主神と考えられている。明石郡には、古くから海直(あまのあたえ)の一族が住んでいて、ある海直の一家が鳥羽附近に住み、少童海命を祀(まつ)ったとされる。これが当神社の前身ではなかったかと考えられている。その後、八幡信仰が盛んになって、従来の少童海命に併せて八幡神を合祀するようになった。その時が元暦(げんりゃく)元年(平安時代末期)であったのではないかと推測されている。

鳥羽八幡社遠影(『林崎村郷土誌』大正8年刊) 南西方向(現松の内)から


鳥羽八幡社

  所在地  野々上3丁目
 
  創建   元暦元年(1184)9月7日
 
  祭神   少童海命(わだつみのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)
 
  境内末社 高良神社(祭神 武内宿禰(たけのうちのすくね))
       天満宮(祭神 菅公)
       稲荷社(いなりしゃ)(祭神 稲蒼魂命(うがのみたまのみこと))
 
  氏子   鳥羽三カ村(野々上1丁目~3丁目・小久保4丁目~6丁目)・西明石北町
 
  神社行事 当村では、毎日氏子持ち回りで夕方に神社大燈籠(とうろう)に常夜灯(じょうやとう)として献灯している。

常夜灯の用具