目次
/
鳥羽地区
/
神社・仏閣・建造物
/
城西山安養寺(じょうさいさんあんようじ)(真宗本願寺派)
由来
15 ~ 15 / 59ページ
安養寺の山号は城西山と称し、浄土真宗本願寺派に所属する。室町時代の文明年間(1469~1486)頃に鳥羽の赤松五平が林の海辺で古い木の仏像を拾いあげた。彼はその姿に感動し自ら剃髪して僧となり、名を教順と改め仏の道を修めた。本願寺宗主より六字名号を与えられ、戦国時代の大永5年(1525)に安養寺を創立したと伝えられている。
このことについて、先代の光森住職は、「住職がしばしば変わっているので由緒はわからないが、本山などの記録にある正徳元年(1711)の開基のようにも思える。」といっている。本尊の後ろの板壁に「天保六年 播州姫路高岡村棟梁伴右衛門」の墨書が残されていることから、本堂は天保年間(1830~1844)のものと思われる。
安養寺遠景(『林崎村郷土誌』大正8年刊)
安養寺遠景
所在地 野々上1丁目
本尊 阿弥陀如来
境内 本堂・鐘楼・太鼓堂