由来

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 元治(げんじ)元年(1864) 松陰新田の藤田平左衛門が、永年の病気を治すため、37日間、池水に浸って祈願していたところ、所願にあたる日の夢に、古塚の上天に妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)が現われ、次第に病気が治っていった。藤田平左衛門は、これに感謝し、この古塚の上に仏堂を建て明石の日蓮宗・本松寺(上ノ丸1丁目)の妙見大菩薩の分体を移して、お祀(まつ)りしたといわれている。
 妙栄寺副住職は、「妙見堂創設以降、明治10年妙見堂が再建されたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響もあり、発展につながらなかった。明治34年春、故藤田平左衛門氏の意志を継承し、澤野妙見堂保存する会を設立、新たに西森妙佳法尼を迎えるなど、その再建に当たったが、依然としてその効果が上がらなかった。しかし、その後、地道な取り組みが実を結び、徐々に賛同者が増加し、大正3年頃、妙見堂の再建が成し遂げられた。なお、昭和18年に西森法尼ご遷化(せんげ)(ご逝去)以降、昭和24年には本松寺の飛び境内地となっていたことがわかっているが、昭和54年の現住職就任までの記録は何も残されていない。しかし、この間、女性の堂守により寺院の運営が行われていた。」と語られている。

妙栄寺

  所在地  明南町3丁目
 
  創建   元治元年(1864)
 
  本尊   北辰妙見大菩薩(ほくしんみょうけんだいぼさつ)
 
  境内   妙栄寺本堂(本尊 大曼荼羅(だいまんだら))