野々池・牛飼(うしか)い

28 ~ 28 / 59ページ
 男の子達は、夏休みに入ると野菜の収穫の手伝いをしたり、秋の農繁期には欠かすことの出来ない大きな力となる「牛」(現在のトラクターのような役割を担う)に体力を付けさせるため、新鮮で栄養分を沢山含んだ青草の生える野々池の土手で「牛飼い」をすることが日課となる。
 当時の野々池は、「かいつぶり」などの野鳥や「鯉」、「鮒(ふな)」などいろんな魚が生息し、「掘割(ほりわ)り郷(ごう)」に近い沼地部には、大きな緑の葉っぱとピンクの花を付けた「蓮(はす)」やダイヤの形をし、鋭い棘(とげ)を持った「菱(ひし)」が、ところ狭しと水面に浮かび、土手の草むらからは「きりぎりす」の鳴く声が涼しげに聞こえてくる。まさに野々池は、自然の宝庫であり、子ども達の貴重な体験学習の場である。

昭和34年頃 井住敏彦氏提供

 
〈牛飼い〉
1.牛飼いの時間
夏休みの午前8時頃から11時頃と午後3時頃から5時頃までの2回であった。(牛の食欲のある涼しい時間帯を選択するため)
2.牛飼いに参加する子ども達
 概ね男子小学校1年生~中学校2年生頃まで
3.牛飼いでの遊び
牛を放牧している間、野々池やその周囲の池で泳いだり、「妙見(みょうけん)さん」(妙栄寺(みょうえいじ))の松の木に登ったり、魚を取るなどして遊んだ。8月に入ると水清谷池(通称ずし谷)の水は次第に減少し、その水位が子どものすね部分まで下がってきた頃に、池の「藻(も)」を集めてベースを作り、みんな裸になってソフトボールを楽しんだ。
 夏休みの宿題は、「むしろ」(ワラで編んだ敷物)を屋根にし、木や竹を柱にしたテント風の手作りの日除け設備の下や、妙見さんの境内の木陰で先輩に教えてもらいながらすませていた。
4.牛飼いのおやつ
家でとれた「トマト」・「なしうり」・「すいか」などの他、野々池の「菱(ひし)」の実などが主なおやつであった。