昭和33年頃 井住敏彦氏提供
当時は、国道2号線など交通量も少なかったため、祭りの祝儀(しゅうぎ)を増やす目的で、明石の旧国鉄駅前や銀座通りまで「だんじり」を引っ張って行く。青年会の人は、現地に着くと直ちに獅子を持って商店街を回り、荒神払(こうじんばら)い(厄除(やくよ)け)をしながら祝儀をもらって歩く。要領の分かっている子どもは、その後をついて行くと、おいしいものを買ってくれることを知っている。青年会の人は、もらった祝儀の中から、当時の鳥羽あたりでは食べることのできないお好み焼や玉子焼(明石焼)などをごちそうしてくれる。
※青年会は秋祭りが終ると、ご宴(えん)(慰労会)と称して全員で慰労会をすることが習慣となっていた。
<祭りの家庭料理> 鰯(いわし)寿司(小鰯をネタにしたにぎり寿司)、豆飯(まめめし)(枝豆)、まったけ飯、巻き寿司、すき焼きなど