終戦直後の混乱期の昭和20年10月8日から9日にかけて阿久根台風が近畿一帯を襲い、死者行方不明451人、負傷者202人、全半壊家屋6181戸という大被害をもたらした。明石署の調査によると、被害は死者18人、負傷者4人、行方不明11人に達し、明石川本流・支流をあわせて23ヶ所、橋梁流失12ヶ所、船舶沈没3隻にのぼったという。明石郡大久保町では、北部にあった約30ヵ所のため池がことごとく決壊、大量の水が低地に流れ込み、約百戸が泥水につかり17人が死亡したという(神戸新聞明石総局編『聞き書き・あかし昔がたり』)。
平成6年地元では、犠牲者への鎮魂と後世にこの惨事を伝えようという願いを込めて、公民館前に「大水害追悼之碑」が建てられた。松陰新田においては、鳴池や中鳴池などため池が決壊したという(大久保大水害については、稿を改めて報告したいと考えている)。