魚住町清水新田地区は今の明石市の西端に位置し、神戸市西区、稲美町、加古川市、播磨町と接していて、南側の二見町は江戸時代は「忍藩」(今の埼玉県)であり、周囲を他の市町村に囲まれた中にある“境界の地”である。また、清水新田地区は西国街道に面していて、江戸時代は明石藩と姫路藩の境界にあって、西の加古郡土山村との境には「下座所(げざしょ)」があり、参勤交代の大名はここで出迎えの挨拶を受けた。今でも「下馬・下座」と言う言葉が残り、村の中心の字居屋敷では「ヤリカケ・槍掛け」と言う言葉が残り、ここで大名が休んで槍を掛けていたと伝えられている。西国街道ぞいの字居屋敷にある供養塔(宝篋印塔の変形で、地区内を転々と移っていた可能性が強い)は街道で行き倒れた人の供養に建てられたといわれている。
文化6年(1809)の清水地区地図/平崎旭家蔵
現在、地図上に「清水新田」の名は無く、自治会名としてのみ残る。清水新田地区の小字名は「居屋敷、稗沢池内、明神下、大沢上、大沢下、大沢岡上、寺山、小谷、中岡、小池下、鳥喰下、鳥喰西、鳥池ノ下、舞々、追越、井桶田、阿仏、竜ケ池下」である清水地区の婚姻圏は、稲美町、神戸市西区(隣接の岩岡地区など)、明石市、加古川市他の神戸市などが多いが、隣接の清水地区とは極めて少なく、一軒だけである。
現在、清水新田の地区・自治会は320戸~330戸。200軒以上が新しい住民。残りの元からの住民の内、農業に従事(正副業)をしているのは63軒で、元からの住民も勤め人に変って行っている。