目次
はじめに
総論
Ⅰ 明石の漁業の現状
Ⅱ 文献にみる明石の魚と漁
1.始まりと伝承
2.歌に詠まれた
3.記録に残る
4.江戸時代の地誌にみる
5.図会(ずえ)や辞書にみる
(1)『和漢三才図会』〔正徳2年(1712)成立〕
(2)『日本山海名物図会』〔宝暦4年(1754)刊行〕
(3)『日本山海名産図会』〔寛政11年(1799)刊行〕
(4)『播州名所巡覧図会』〔文化元年(1804)刊行〕
(5)『重訂本草綱目啓蒙』〔弘化4年(1847)刊行〕 ※元本は享和3年(1803)成立
6.明治の資料にみる
(1)明治期における漁業関連の主な動き
(2)『兵庫県漁業慣行録』
(3)『兵庫県漁業慣行録』にみる明石の漁村 -江戸時代を中心に-
1)「郡内産出水産物品名」と「漁期」
2)藩(藩主)と漁に関する記載
3)村の生活に関する記載
4)明治19年調査、「漁具数と漁業者数」(表4)と「漁船数・漁民数」(表5)にみる主な村の特徴
コラム
伏見宮家御用漁—京へ送られた明石の魚—
献上された魚
海藤花(かいとうげ)
各論
Ⅰ 鹿ノ瀬を巡る争いの歴史
1.昔の鹿ノ瀬
2.ヤマタテ(山立て)漁師の海の位置を定める方法
3.鹿ノ瀬の実態
4.鹿ノ瀬の地形の変遷
5.戦国時代
6.江戸時代 林村と東二見村の争い
7.江戸時代 西二見村の漁師の定書き
8.江戸時代、林と明石両浜(新浜・前浜)
9.江戸時代、林村と他の藩領の漁民との争い
10.江戸時代、明石両浜(新浜・前浜)と淡路の漁師の争い
11.近代以降の漁師間の争い
12.海を守ってきた人たち
「鹿ノ瀬の争論年表」
山タテ
Ⅱ 林地区
1.林村の成り立ち
(1)明石川平野の古環境
(2)旧潟内での発掘調査
1)北王子遺跡(北王子町)
2)硯町遺跡
3)林崎三本松窯跡(明石市林崎3丁目)
4)船上城跡
5)林村内での発掘調査
(3)林崎村の沿革
(4)林村の米生産量
江戸時代の林村の米生産量
(5)林崎村郷土誌(大正8年1月10日)による林村
(6)林村役場の設置
[1)-6)]
7)林崎村の小字名(明治22年から大正6年)
8)林神社(上ノ宮)
9)若宮神社(林2丁目:旧東丁)
10)宝蔵寺(林2丁目:旧東丁)
11)神応寺(林2丁目:旧西丁)
12)善国寺(林2丁目:旧西丁)
13)専修寺(林3丁目:旧高浜)
14)浄蓮寺(林3丁目:旧高浜)
15)林の「さんまい墓」
2.漁法と村の構造
(1)林村の区割り
(2)林村の漁業
1)多彩な漁業
2)ノリ養殖業
(3)漁法
1)イカナゴ漁
込(こ)ませ網漁
―籤(くじ)による漁場割り―
―ヤタラ組―
現在のイカナゴ漁
2)タコ漁
タコ釣り
タコ壺漁と二十三艘(そう)組
3)イワシ漁
巾着(きんちゃく)網
―巾着網の操業方法―
―巾着網の漁撈集団―
(4)地縁による漁撈集団と祭祀集団
(5)まとめ
3.年中行事
12月
注連縄作り
1月
元旦
乗り初め 1月2日
十日エビス 1月10日
ヨウネン講 1月14日
トンド(左義長) 1月15日
三社参り 1月14・15日
3月
網おろし
4月
浦祭り 春は4月15日、秋は9月15日
5月~11月
金毘羅参り・千光寺参り・エベッサン参り・住吉参り
7月
夏祭り 14・15日
8月
墓参り
盆踊り
地蔵盆 8月23・24日
9月
初魚(ハッツオ)参り
イワシ不漁のとき
10月
秋祭り 14日
若宮神社に宮入りする布団太鼓
林神社に宮入りする布団太鼓
11月
網上げ
オトゴツイタチ 1日
宮ごもり
大蔵谷村の網元
4.伝承
(1)雌鹿の松
(2)赤石
林崎漁港海浜船溜図
タコツボ作り
Ⅲ 二見地区
1.村の成り立ち
2.明治以降の漁業
3.伊勢講にみる年中行事
4.御厨神社と三義人の碑
5.瑞応寺と三義人の墓
6.二見浦築港記念碑
三義人
二見の干しダコ
聞取り/東西両二見熟練漁師さんの今昔譚
東二見漁業協同組合の西尾幸氏と西尾豊氏
西二見漁業協同組合の大上正一氏
二見港と航路
おわりに
[参考文献等]
お世話になった機関(五十音順、敬称略)
お世話になった方々(五十音順、敬称略)
明石民俗文化財調査団構成員
主な参考・引用文献
[奥付]