11.近代以降の漁師間の争い

29 ~ 29 / 95ページ
 明治になっても明石、淡路間の争いは続き、明治8年(1875)に大乱闘になり、県が調整し、3年後に明石・淡路の6浦漁民が手打ちの会議を明石市内で行い「鹿ノ瀬条約」に調印し、林村専用の時代が終わった。明治36年(1903)には旧漁業法が施行と同時に明石・淡路の6浦による「鹿ノ瀬条漁業組合連合会」が発足し「鹿ノ瀬規約」締結。そして、昭和24年(1949)に新漁業法が公布され、翌々年に新漁業法に基づき「鹿ノ瀬組合」を解散し、東二見・西二見が加わった「鹿ノ瀬会」が誕生した。水産協同組合法が施行され、鹿ノ瀬を播淡8漁協が共同で漁業権を所有する漁場として、スタートした。東二見・西二見の漁師は明治になってからも、明石・淡路の6浦の「鹿ノ瀬組合」に入漁料を払って操業を続けていたが、310年間の長い苦労にやっと終止符が打たれた。