古老の漁師の方とお話をしていると必ず「山タテ」が話題となる。
一般的に「山タテ」は「海上で自分の船の位置を山々の重なり具合などで知る術」(『日本国語大辞典』)といわれ、その呼称についても地域差がみられる。広く分布しているのは、「ヤマアテ」と「ヤマタテ」である。磁石やレーダーのなかった時代(人の勘と知識に頼っていた時代)には、「山タテ」は「魚は海にいるのではなく、魚は山にいるのだ」「魚を釣るには山を見よ、魚は山で釣る」などの格言が残されている。
「山タテ」は海上から陸地を観察することが基本で、目標は主に山であるが、これ以外に建造物(灯台・ビル・煙突・テレビ塔・神社など)や岬、島、大木などあらゆるものが目標とされた。これらを目標として、その方法には色々なやり方があるが、鹿ノ瀬においては、海上から見える山や島また岬を結び、交わった点を位置とする方法がとられている(『鹿の瀬漁場変遷史』)。また、東二見漁業協同組合に残る明治8年(1875)『海尋取日記』(海間覚)には、
●松やせ上山分
●一之谷北之はし八木宮おきはな
●なた山分
●浜西弐本松・住吉西角ト
●六尋一尺
など数多くの山タテの記録が残されている。
明石の海にみられる漁師の「山タテ」の基本的な山として登場する「雌岡山・雄岡山」や「先山」は、農家の人々の「雨乞い」の対象ともなっている。これらの山々は、漁民と農民の両者の生活に深く結びついているのである。