5)林村内での発掘調査

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 林2丁目の個人住宅建設に伴い、平成25~26年にわたって船上城跡の関連の有無について発掘調査が実施された。当地は林崎漁港から北方約200mに位置する(標高4m)。船上城は天正13年(1585)高槻城から明石に転封されたキリシタン大名の高山右近によって築かれた平城で、元和6年(1620)に小笠原忠政が明石城を築いて居城を移すまで、明石を治める政治拠点となっていた。この調査によって表土(盛土)・幕末から明治時代整地層・江戸時代初期の整地層・細砂(砂嘴:さし)が確認された。その結果、江戸時代初期の整地層から柱穴と土坑及び炉跡が検出され、土坑内から骨片が出土し、火葬墓の可能性が考えられている。さらに中世の土師器・須恵器・陶磁器・瓦・銅銭・金属製品などが出土した。
 平成26年9月、林1丁目の宅地開発事業に伴って発掘調査が明石市教育委員会によって実施された。その調査の結果、当地は船上城本丸跡と推定されている地点から約150m南に位置し、旧東ノ町にあたり南から北に緩やかに下る砂堆上に立地し、深さ約1m下で漆器椀・瓦・陶器碗・皿などが出土した。これらの出土品は江戸時代初期にあたるものであった。
 また、東西方向に延びる溝状遺構(幅2m、深さ80cm)の肩に一石五輪塔が検出した。さらに埋土内から唐津焼皿・瀬戸焼壺・備前焼擂鉢などが出土した。以上の遺跡は4,000年前に海水が後退し、潟も徐々に乾燥した後に古代の人々が生活場とした痕跡が発掘調査によって明らかにされたものであった。

林1丁目調査