集落の中央に自由川(現在の名称は高浜川)があり、この川に架かる自由橋の東を林といって東より細別すると大東丁・大丁・獅子投丁・宮丁・八軒丁・中丁・西丁・川端丁といい、西部を俗に高濱という。東より川端丁・中丁・戎丁・八九郎丁・東丁といい、戸数523戸あり、その過半数は漁業者にしてその他は農商工業者であった(高浜川から西の浄蓮寺の間)。
なお、郷土史家の光田弘氏によると当時の浜街道筋(高砂道)には、木内米穀(旧八九郎丁)や船の帆布を売る日和佐屋(八黒丁で現在の3丁目)や八百屋・仏壇屋・花屋・豆腐屋・博労(馬の売買・斡旋)などの商店の町筋があった。しかし、現在では木内米穀商と酒屋が存在するだけとなっている。