文献によると、林村は、明治11年(1878)に「鹿ノ瀬条約」が結ばれるまで、およそ三百年にわたり鹿ノ瀬漁場を独占してきた。
鷲尾圭司氏は、論文「新説 鹿之瀬漁業権の成立」(1994年)の中で、明石海峡の複雑な潮流のなか、「潮時に応じた漁場に、潮を利して行き来できたのは林村だけ」と、林村を「潮流が味方する漁村」といっている。『明石記』には、享保頃、林村に、65石積以下30石積までの渡海船が84艘あり「これらの船は、季節により漁業と運送業とを兼ね、7月から10月までは林浦でイワシ漁に従事するが、11月から翌年4月までは西国方面に行っていた」と付記されている。また「8石積漁船238艘 持主238人 地鰯網名代25帖 魦(はぜ)網名代21帖 地引網名代15帖」の記録があり、林村では、かなり早い段階から漁船漁業が発達していたことがわかる。