込(こ)ませ網漁

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 「林崎の代表的な魚は、何というてもイカナゴとタコや。イカナゴ漁の始まる三月ごろから浜はたいへんなにぎわいやった。鹿ノ瀬あたりに出漁した漁船がイカナゴを満載して戻ってくると、浜にでっかいカマを据えて、湯をわかすんや。そこへとれとれのイカナゴを放り込んでカマゆでにする。ゆでるそばから荷車で出荷するんやが、そんな時は女も子供も総出。戦争みたいやった」と、『あかし昔がたり』神戸新聞明石総局編(1979年)に、明治から大正時代の活気にあふれる浜の様子が語られている。
 当時のイカナゴ漁といえば、「ヤタラ網」ともいう込ませ網漁であった。林村における込ませ網のはじまりは詳細にはわからないが、明治33年(1900)頃、淡路の机浦の漁師が使っていた「ひきとり網」を参考に、林村の漁師が、漁場に適するよう工夫したと伝えられている。込ませ網の出現により、イカナゴ漁は活況を呈し、明治44年(1911)には、漁船数120隻に至ったが、乱獲を防ぐため漁船数を半分に規制し、以後1960年頃まで60隻で操業された。

神戸市駒ヶ林村のヤダラ網図『兵庫県漁具図解』より