イワシ漁には、古くから地曳網、地鰯網、手繰網を使用していた。持網を百帖余も使用していた時期もあったが、餌代がかかり過ぎることなどから、網の改良が試みられていた。明治6年(1873)、林村の漁師藤原繁蔵が、愛媛県高山漁場に沖取網を視察し、その後、同村の中谷捨吉、美嚢郡の吉田太右衛門らと八田網を試作。明治29年(1896)、淡路、三原郡阿那賀村の巾着網と呼ばれた揚繰網を参考にし、潮流の速い林の漁場にあわせて工夫、改良を重ね、ついに完成したのが林の巾着網である。一度に大量の漁獲を得られることから、県下はもちろん四国・九州でも模倣制作され、各地に普及するようになった。巾着網の発明は、郷土の誇りであり、それを記念する碑が林小学校の校庭に建てられている。
巾着網漁の最盛期には、林の海岸にはイワシを煮干しにする「炒り納屋」が50軒も並び、砂浜は干しイワシで真っ白になったという。
漁具図「巾着網」
『播州東二見浦漁業の歴史』より