(4)地縁による漁撈集団と祭祀集団

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 巾着網の漁撈集団は当時の丁単位であったが、林神社や若宮神社の秋祭りの布団太鼓も町単位で所有し、運営していた。祭りの時期はまさにイワシ漁の真っ最中で、沖での漁場争いが陸に持ち込まれ、太鼓同士が喧嘩になり大変な騒ぎとなることもあった。
 また、林村には「エべッサン」(年配の漁師は「オイベッサン」と呼ぶ)や「オイナリサン」と呼ばれる小さな祠が点在している。(表8参照)それらは、海と集落との境界にあたる場所に祀られている。エビス神とイナリ神の両社がある場合は、境内の景観や『林崎村郷土誌』の記録からも、エビス神が主祭神であり、イナリ社は境内末社である。海上の安全と豊漁をもたらす神として信仰されるエビス神(蛭子、恵比須、恵比寿、戎、夷などと表記される)が、漁師の多い「林」地区に祀られている。イナリ神は、根底にあるのは田の神の信仰であり、語源は「イネナリ」の約か「イナニ」の転か両説あるが、ともかく稲の神であった。中世以降、商工業の発達により、商業神、工業神、やがて福徳開運の万能の神として全国に普及してきた。昔は半農半漁の者が多く、百姓漁師といわれた高浜の人々が「オイナリサン」を祀ってきた所以であろうか。これらの祠は、もとは、漁師がエベッサンを祀り、漁師以外の人がオイナリサンを祀っていたという伝承もあるが、現在はそれぞれ所在地の町内及びその周辺の町内の人々が、両社を当番で世話をし、祀っている。

戎神社(大丁)


エビス神社(中之町)


イナリ神社(高西町)

 子どもの成長や地域の人々の日々の生活を見守る地蔵も町内ごとに祀られている。婦人による念仏講が世話をし、地蔵盆は今も盛大に行われ、大勢の子どもたちが参っている。

地蔵(高戎町)

 「トンド」という左義長の行事は、昔は子どもの行事で、町内ごとに若衆頭(40~50歳の男)が取り仕切って、浜にトンドを立てていた。よその町のトンドを倒そうとしたり、トンドを守るために泊まり込んだりして、子どものころから地縁意識が育まれていた。
 エビス社・イナリ社・地蔵の位置と昭和初期に巾着網の倉庫や太鼓蔵があった場所を図に示す。巾着網の漁撈集団と、祭祀集団が一致することは、表8の通りである。

巾着網の漁撈集団と祭祀集団

巾着網 漁撈集団
(大正~昭和初)
氏神 祭りの布団太鼓
(~昭和40頃)
町内の祠・祭神 祭祀集団
(現在の町内会)
地蔵
①東之丁 大東丁・大丁・獅子投丁 若宮神社 ❶一丁マカセ A戎神社 大東町・大丁・獅子投町 a町内
Bエビス社 若宮町 b町内
②中之丁 中丁 ❷三丁マカセ Cエビス社  中之町 c町内
 イナリ社(金倉大神)
③西之丁 西丁 ❸三丁マカセ Dエビス社
 稲荷社(彦佐大明神)
五蔵・地蔵・戎井・戎之
川端町
d町内
④元網 川端他色々な丁の乗り子 林神社 ❹一丁マカセ e神應寺境内
⑤丸三 高濱東丁 ❺五丁マカセ Eイナリ社(高繁大明神) 高東町 f専修寺境内
⑥戎 高濱中丁・高濱戎丁 ❻三丁マカセ F蛭子神社 高戎町 g町内
 稲荷社(一森稲荷)
⑦八九 八九郎丁 Gイナリ社(豊瑛大明神) 八黒町 h浄蓮寺境内
⑧高西 高濱西丁 ❼神輿 Hイナリ社(藤森大明神) 高西町
若宮神社 I厳島神社
 稲荷社(石崎稲荷)
八軒町 i町内
(注)マカセは布団太鼓のこと 一丁・三丁・五丁は布団の枚数                 表8 巾着網の漁撈集団と祭祀集団
(注)八軒町は「オカ」と呼ばれ、昔から漁師はいない
(注)❽は、年中行事の項参照