十日エビスのころから、若衆頭(40~50歳の男)が取り仕切って、小学校高学年から青年団の男がトンドの準備を始め、町内ごとに浜にトンドを立てた。一つのトンドに竹は10本以上必要で、昔は隣の松江村から竹を買ってきていたが、竹藪がなくなり、神戸市西区の平野村まで買いに行った。年寄りが紙でタイやタコの張りぼてを作り、子どもは、家々の注連縄を集めて回り、駄賃にヨウネン講のオヤドでおでんを食べた。小学校高学年から中学生の男の子が、トンドの中で泊まり込みの番をし、隣り合う町内同士でトンドの倒し合いをして喧嘩になったり、中で餅を焼いて火事騒ぎを起こしたりしたこともあった。15日にトンドを焼いたあと、燃え残りの注連縄を家の入口にぶら下げ、灰は家の周りに撒いた。そのあと、大阪の住吉大社、神戸長田の高取神社などに参り、帰りに若い者は網ナカ(網仲間の講)から小遣いを貰って新開地で遊んだ。
林のトンド(昭和61年)