秋祭り 14日

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ヨミヤ(宵宮) 巾着網漁を終えて、夕方から夜にかけ、各町の布団太鼓が神社に宮入りした。そのあと、村中を回って林神社の下を通り、明石の町まで練り歩いてから太鼓蔵に納めた。
15日 ヒルミヤ(昼宮) 朝7時ごろから太鼓を鳴らし、10時に宮入りした後、村中を練り歩いた。伊勢音頭をうたい、掛け声をかけながら、町内のエベッサンやオイナリサンを全部回った。祠の前や「花」(お祝儀)を貰った家の前では、「サーシマショ!」と掛け声をかけ、太鼓の前を上げ、後ろを下げて礼をした。巡行の途中で布団太鼓を落とすと、巡行の順番を交替しなければならなかった。2時か3時ごろお旅所(集落西端にある埋め墓の南)に着いて、家族が持ってきた重箱弁当を一緒に食べた。そのあと、明石の町まで練り歩いて、「花」を貰った。そのうち、若い衆は、太鼓を放り出して飲み屋に入ってしまい、世話人と子どもとで太鼓蔵に納めたという。
太鼓を担ぐ者は太鼓襦袢を着た。前の方をかく(担ぐ)のは25歳ぐらいまでの若い衆で、青紫の繻子のまわしを締め、力士が付けているようなバランを垂らした。25歳を超すと本ネルの腰巻をして、後ろの方をかいた。(昔は徴兵検査で区切られていた)