林村の漁業の調査に入るとき、林コミセンで所長をされていた中井禎一氏から、「林の浜の漁船を東から西まで連続して描いたよ。」と聞いたことを思い出した。見せていただくと、集画帖には『平成三年四月~平成三年八月 林崎漁港海浜船溜図』とタイトルがあって、発掘調査報告書の土器・石器・瓦などの実測図を思わせるような、漁船を細部にいたるまで表現された絵があった。私にとっては絵というよりも実測図、そこから、どの様なことがわかるのか考えてみた。
「1991年は平成3年、ということは今から25年前、モクセン(木造船)が大分あったんやなあ。」「船体を黄色に塗っとう船は、船曳漁の船や。あの頃、船曳する船は国から黄色に塗るようにいわれとったんや。今はそんなこと、せえへんけどな。」「赤い旗立てとうやろ。真ん中に白い線の入った旗。あれは、船曳するとき、左に赤い旗、右に青い旗立てて操業しとったんや。」「曳船は大きいように見えるけど、5t未満の割合小さい船やで。」「川から西は船曳の船は少なかった。」「西の町のレールは3本しかなかった。機械使こてソロバンでのぼしよった。」「3本いうとったけど、もっとあったんちゃうんか。」「右から大畑54、杉野52、これは小松51やと思うけど、岡野の木造船もあったなあ。」
南の淡路島に向かって並ぶ小さな船を含めて54隻[東から1~54]の漁船が描かれている。その内35と36の間の石積護岸は高浜川河口であることから、川を境にして、東側の35隻が林の船、西側の19隻が高浜の船であることがわかる。高浜川の南に突堤工事用の大きなクレーン、44と45の間に漁港の入り口を示す灯台、そして46と47の間には陸から海に延びる突堤が描かれていることを予備知識に入れておいて、漁師さんに絵を見ていただいた。
「西の方は、高友水産か若松水産か魚潮水産に聞いたらわかるんちゃうか。」「この船2に、村の字が書いてあるやろ。これ、村由丸(むらよしまる)や。」「こんな格好した船は、岩屋で造った船やろ。」「この船32は、ヤマシン(山本新一)の船や。恵比寿丸と書いとうやろ。イカナゴとかタコ獲るのに使ことった船や。」「東は、栄和水産か福ト水産か村由水産に聞いたら、ある程度わかるやろ。」
中井禎一氏が描かれた54隻の漁船、これらの詳細については、調査と報告に要する日数を考えて今回は断念した。でも、いつか必ず‥‥‥
※敬称略