社伝によると、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を泊め、食糧を調達したので「御厨」といわれる。東二見と西二見の境に鎮座し、二見の鎮守として人々から信仰されている。拝殿には絵馬が奉納されており、その中の一つに「帆前船の板絵額」がある。江戸時代後期に、二見の船が金毘羅参りをする客を丸亀まで送っていた船主16人が奉納したとものとされている。
御厨神社
帆前船板絵額(御厨神社)
境内の南東に三義人の碑がある。この碑は二見町が明石市と合併した昭和26年(1951)5月に建立された。昭和53年(1978)9月2日、三義人の200年祭が盛大に行われた。
三義人の碑除幕式(昭和26年5月)