5.瑞応寺と三義人の墓

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 創建は加古川の鶴林寺と同時代といわれているが詳しいことはわからない。天正元年(1573)に天巌禅師によって再興され、東二見全体の菩提寺となったため、「親寺」、「大寺」と呼ばれている。境内には三義人、二見築港の提唱者増本忠兵衛の墓などがある。裏庭の「蘇鉄」は樹齢400年を超えるといわれる。

三義人の墓

 江戸時代には寺子屋が開かれ、明治の学制発布でこの寺に双見小学校が開校された。その後西二見の威徳院の双鑑小学校と統合され、現在の二見小学校の前身が誕生した。

瑞応寺