(5) 駒手御井

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 明石駅家にあった駒手御井と聞けば、すぐに思い浮かぶのが明石の名水“亀の水”である。元禄(げんろく)12年(1699)、柿本神社の西参道がつくられたとき、海岸段丘上に水が無いので段丘崖から湧き出た水を地中に竹管を埋めて引き、亀の口から水が流れるようになった。

亀の水

 “亀の水”と同じように、海岸段丘からの良質な湧き水を利用してつくられた井戸が、林神社(明石市宮の上)東の崖面にある。立石(たていし)の井と呼ばれ、凝灰岩の切り石で2m四方の井戸枠が組まれている。深さが1mほどしかないので、井戸というよりも石で組まれた貯水施設となるのであろう。この井戸には、大ダコ伝説がある。昔、この辺りに住んで悪行の限りを尽くす大きなタコがいた。二見の武士、浮須三郎左衛門がタコを四つに切って退治すると大きな石になった。その後、いつのころからか、この石の下からきれいな清水が湧いてきたのだという。武士が登場するこの話からは、井戸がつくられたのは中世の頃となる。

立石の井

 駒手御井で汲まれた水は、「速鳥」の物語の後半にあるように、船に積まれて天皇のもとへと運ばれた。当然、瀬戸内海を航行する船には、この井戸から飲料水が供給されていたはずである。立石の井も生活用水を汲むだけなら、あのような立派な石組みの施設は必要ない。こちらも、瀬戸内海を行き来する船への給水が財源となって石が運ばれ、井戸枠が造られたと考えている。