大蔵谷は明治以降、鉄道や国道が開通するなどの交通手段の変革により町の様子が大きく変化した。旅籠をはじめ、飲食店など通行人を相手にしていた店が徐々に無くなり、人々の記憶からも忘れ去られていった。宿場町であった頃を知る手段は旧家に伝わる資料しかないような状態になっていた頃、大蔵谷で育った久保直明さんが地元の歴史を残そうと昭和50年頃丹念に聞き取りなどの調査をされ、その結果を多くの資料にまとめられた。それは、文字資料だけではなく、お得意とされたスケッチを駆使した“復元イラスト”という解り易い形のものが多くあり、これらは今では知ることのできない“大蔵谷の玉手箱”となっている。今回、宿場町大蔵谷を考えるにあたって、これら久保さんが残された資料を活用させていただいた。