大久保本陣をつとめた安藤家の史料調査で、文政・天保年間(1818~43)を中心とした多くの文書が見つかりました。ここで紹介するのは、そのうちの一冊、天保8年(1837)の作成で、宿泊者が多い時に近隣から人を集めて対応したことを記す「御用宿并人別銭ニ而渡し方扣帳」という帳面です。薩摩藩や龍野藩などのほか、西国街道を往き来する人々の名がたくさん記され、活気あふれる大久保宿の様子が伝わってきます。
たとえば、同年2月19日に大坂で起こった大塩の乱は半日で鎮圧されていましたが、江戸表から姫路藩に加勢すべしとの連絡が入ったのは3月3日のことでした。その日のうちに家老・高須隼人以下2500人余りが姫路を出立、大坂に向かいましたが、一番手が西宮まで進んだところで、その必要なしとの連絡があり引き返します。一行は同8日に大久保本陣に宿泊したこと、姫路から西宮までの往復に約一週間かかっていることがわかります。また他の頁には「問屋壱人/代弐百四拾八文」と記されています。今回は4人だったので、代金は銭1貫文となったのでしょう。なお10月24日の頁にも「姫路河合様御泊り」とあります。大久保本陣は姫路藩の定宿だったと思われます。
今後詳しく解読していくことで、さらに新しい発見があることでしょう。