加古川宿~大蔵谷宿間高低差
加古川左岸下流、加古川市寺家町の加古川宿本陣(5.3m)をスタートし、加古川平野を南東に進む。野口町坂元(9.5m)から緩やかな坂へ、印南野台地が南西に舌状に張り出した丘陵にさしかかる。やがて平岡町の西谷本陣(17.7m)に着く。さらにごく緩やかな坂が続き、平岡東小学校東端より姫路藩領を出て、明石藩領に入る。清水新田(28.5m)で小高くなり、下って清水橋、瀬戸川橋(25.9m)を渡る。左に西福寺、清水神社と続き、この辺りかなり上り坂。右手に県指定文化財である清水の五輪塔が見え、台地に上がると登り勾配は緩やかになって続き、長池本陣(44.6m)に着く。ここから長池を通り、大道池端にある長坂寺茶屋までがルートで標高が最も高い。「長坂」と呼ばれる坂を下って金ケ崎神社南(19.7m)を南南東へ進み、JR大久保駅北に出る。谷八木川を渡った坂の下に、大久保宿本陣跡(12.7m)や常徳寺がある。JRと国道2号の間を緩やかに登って、JR西明石駅北(20.2m)を通り和坂の急坂を下る。和坂下(8.0m)を東に進み、十輪寺の東から南下して明石川を渡り(当時は徒歩(かち)渡り)、大観橋東(3.9m)へ。さらに東に向かうと、やがて砂洲に開けた大蔵谷宿本陣(2.4m)に到着する。
西福寺前の街道と道標
大道池と街道
清水地区は、大蔵谷宿と西の加古川宿とのほぼ中間にあり、大名が休憩をした本陣や一般の旅人のための旅籠屋、茶屋等があった。街道沿いに残る田畑やため池、立ち並ぶ新しい住宅団地やマンション、その間に西国街道をたどることができる。少し南に平行して、幹線道の国道2号が走っているため、車両の通行も少なく地元の人々の生活道路として息づいている。大蔵谷や大久保ほど大きい宿場ではなかったため十分な調査研究がされておらず、文書資料はきわめて少ない。が、「家」に、「屋号」に、「道標」(総論参照)に、「井戸」に、「小字名」等にさまざまな「宿場」の名残がそこにはある。