(ⅰ) カワラヤ
西福寺の真向かい。魚住町清水、現橋本清家である。「是より はり満名所道…」と刻まれた清水の代表的な道標が、家屋の正面西角に張り付くように立っている。宿屋であったのは、現在の家屋の前の前の建物ということで、何の痕跡もない。敷地は現在より3倍ぐらい南側に延び、奥行きのある宿屋であった。屋根が当時珍しい瓦葺だったので、「カワラヤ」と呼ばれていた。「寺の前の広場に木がいっぱい生えており、その木に馬を繋いで家来が泊まった。えらい武士は明石屋に泊まり、家来がカワラヤに泊まっていた」と伝えられている。
「カワラヤ」と道標
(ⅱ) ヤドヤ
カワラヤの東隣にもう一軒宿屋があった。
(ⅲ) カゴヤ
清水村西端、清水新田村との境の街道沿い南側に、明治ごろ宿屋をしていた家があった。街道に面して格子戸があり、広い土間や中庭、その南には別棟もあるというカワラヤの3倍ぐらい大きな建物であった。現在は二階建て6戸のテラスハウスが建つ。街道北側には、清水村の埋め墓がある。東隣の小字名は「西宿」という。
これらの宿屋があったことは地元でもほとんど知られていない。すでに忘れられた宿屋が他にもあったのではないだろうか。