6.御家中絵図(郭内図)

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 5図「御家中絵図」に貼付されている郭内部分の図。本来は別の図として作成されたものであり、享保6年(1721)頃に著された『明石記』(東京大学史料編纂所蔵 大井清蔵本写)所収の図と細部にわたって酷似している。右側上下の文章部分は無いが、同一の図を写したものであろう。南西部と北部の一部が欠損しているが、全容は掴める。本丸の北「蓮池」の北に焔硝蔵の建物が描かれている。「剛池」の東南部に北曲輪と山里曲輪を結ぶ通路がカーブを描いて明瞭に表現されている。本丸に連なる東側の曲輪を「東丸」と記し、他図とは異なる。櫓・門に名前を記載。「剛池」西に“〓”記号と「保新切戸」が追記されている。“切戸”は土塀の一部に造られた簡易な出入り口で、西北隅の「本」櫓横には「保切戸」の記入がある。この「保切戸」は初期の頃の絵図には記載はなく、後に設けられたものであり、さらに後に「新切戸」が設けられている。このことから、剛池の西部において郭内外の通行の必要性が時代とともに高まってきたことを表している。図右上に城の沿革記があり、右下に松平直明が越前大野より移ってきた年である天和2年(1682)より天明3年(1783)まで102年、城が出来て166年であると記されている。その下は門(6箇所)の名称である。

御家中絵図(郭内図)●明石市立文化博物館蔵(44.8×40.6cm)


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