目次
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●町全体図
11.明石家中之図
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外堀内の街区と武家屋敷の配置図であるが、屋敷割の区画線はなく、居住者の姓のみを記している。外堀外の町名や「人丸山」「上ノ丸」の様子も描かれている。中堀内の居屋敷曲輪を「御本丸」と記し、実質的に本丸として意識されていたことがわかる。東南隅に「東塀之内」「西塀之内」とあり、町屋である東新町の北側に相当し、西国街道沿いに設けられた長塀により区画された武家地(組屋敷)の呼び名である。
明石家中之図●個人蔵(45.5×70.5cm)
画面中央付近、太鼓門前東堀端に面して「指月院」の屋敷がある。「指月院」は11代藩主直泰の子美千(賰)姫で文政6年(1823)に旗本畠山基利に嫁いだが、文政11年(1828)離縁し、明治5年(1872)に亡くなった。
指月院様御屋敷
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鷹匠町・王子口門周辺
追手門・樽屋門周辺
細工門・大蔵口門周辺