13.明石町図(明治19年)

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 西新町~大蔵谷村間の図。明治21年(1888)に開通する山陽鉄道の路線を破線で、駅は「細工門筋」の北に「ステンション」と記入されている。明石川には「鉄道橋」が架かり、西新町と大蔵谷には鉄道を跨ぐ橋が描かれている。明石川西岸と岩屋神社の西に芝居小屋があり、王西座と明治4年(1871)に建てられた八雲座と考えられる。画面右手(東部)の大蔵谷村と城下町との境の街道に面して二階建ての大型建物や忠度塚、今は無い「九品寺」「庚申堂」、両馬川に架かる二つの橋が描かれている。

明石町図(明治19年)●個人蔵(47×78cm)

 西部拡大の中央にある「三ケ寺」は善楽寺で、三重塔があったが、明治4年12月4日に焼失した。(『明石名勝古事談 第7本』)

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