東本町は城下町の南部中央付近に位置し、城の外堀と港(内川または堀川)の中間を東西に通る西国街道沿いの町屋区域で、淡路町・米屋町・北大黒町・南大黒町が含まれる。この図は正徳2年(1712)のもので「大屋」「鴻池屋」「富近屋」「麩屋」「干鰯屋」などの名前があるが、多くの区画には付箋が貼られていて、居住者(持主)が変わっていることを示している。区画には、表(間口)・裏(奥行)の間数が記されていて、表は概ね3間(約5.5m)~7間(約12.7m)であるが、裏はほとんどの区画が16間(約29m)である。これは、享保6年(1721)頃に書かれた明石藩の地誌『明石記』の記載と一致している。南の内川に架かる「大黒橋」は時代により、その名前と架かる位置が変わる。城下町建設当初は対岸にある藩主の浜屋敷(御茶屋)に因んで「御茶屋橋」と名付けられた。初めは当図の位置より一本東の「会所町・細工町」筋にあったが、寛永10~16年(1633~39)頃に二本西の「大黒町」筋へ移され、延宝6年(1678)には名前を「大黒橋」とした。その後、宝永7年(1710)に一本東の「滑町・米屋町」筋(当図の位置)へと移された。
東本町絵図(正徳2年)●明石市立文化博物館蔵(105×81.5cm)