15図と同じ東本町の図であるが、文久3年(1863)のものである。区画に記された名前には、15図にあった以外に「常本屋」「長木屋」「藤江屋」「紙屋」「亀屋」などがある。道で囲まれた区画の中央部の屋敷境には水路が整然と設けられていて、計画的な町づくりの一端を知ることができる。中央付近にある「正徳寺」は天正元年(1573)に開かれたと伝えられている寺院であるが、正徳2年(1712)の15図には記されていないことと、その寺名から正徳2年~5年(1715)の間に再建されたと考えられ、また、文久3年頃の他図では、明石川の東岸近くの大観町(現在地)にあり、この時期に移転したと思われる。港の内川に架かる「大黒橋」は15図の「滑町・米屋町」筋から一本東の「会所町・細工町」筋に架け替えられている。
東本町絵図(文久3年)●明石市立博物館蔵(163.5×115cm)