絵葉書に描かれた明石型生船

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平成30年12月15日
生船研究会 金井清

「明石型生船」という船を知っていますか。
 ここに一枚の絵はがきがあります。今回の明石型生船調査資料集を編集するにあたり、友人から借受けた絵はがきです。はがき縦8.9cm×横14cmの中に帯状に縦6.6cm×横14cmに画面があります。明石の海を題材にした絵はがきを見たことはありましたが、そこに描かれていた船を見て大変驚きました。「明石型生船ではないか!」そこでこの絵はがきについて紹介したいと思います。
 

絵はがき 明石の浦

 おそらく戦前に作られた手彩色の明石観光絵はがきをもとにその後、着色写真絵はがきとして復刻されたもので、風景そのものは戦前の「明石の浦」を描いています。明石の浦の松林から淡路島の山並みを背景とした明石海峡、その左手には二人乗り櫓漕ぎの小さな和船、右側にカッターボートを曳航するスループ型ヨット、そしてヨットの前に「明石型生船」が西進(大阪湾→明石海峡→播磨灘)しています。明石型生船を見たことのない方は、普通の漁船に見えるかもしれませんが実に明石型生船を忠実に描いているのです。例えばほぼ垂直に立った水押(ミヨシ=船首)や船尾が西洋型であることは生船の特徴です。特にブリッジ後方にある俗称「運動デッキ」は一般の漁船には見られない外観上の特徴で、調査資料集に掲載されている写真と比較してもこの船が明石型生船であることが判別できます。この絵はがきを描いた人物は明石型生船の写真や実際に明石型生船を見ていたと思われ、大変貴重な資料といえるでしょう。
 明石型生船は明治38年、明石の鮮魚仲買商「林兼商店」の中部幾次郎が日本初の石油発動機付き鮮魚運搬船を建造したことに始まります。明石型生船は発祥の地に因み「明石型」と名付けられた木造の鮮魚運搬船です。明治より、明石、淡路島、香川などで約7,000隻の建造実績があり、鮮魚運搬船として優れた功績を収めてきました。
 私が最後に見た明石型生船は、平成28年7月に明石港に入港した「第拾壱盛漁丸」です。この船は昭和54年(1979年)に淡路の大日水産株式会社富島造船所で建造されたもので、現在、最後の明石型生船になりました。