明石港の西側 明石浦界隈

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 わたしは明石港の西側、昔東戎町と呼ばれたところで生まれました。明石港から明石川までの海岸沿いの地区は明石浦と呼ばれ、江戸時代から前浜、新浜と呼ばれ明石の代表的な漁業の町です。明石港が明石の産業、物流の中心であった頃「焼玉発動機」工場の集積地でもありました。
 昭和9年(1934年)の明石商工年鑑には「生魚」の区分で市内に57軒の店があり、さすが明石と思わせます。「鮮魚運搬」と書かれてあるものは5軒で3軒が東戎町でした。「船具、漁具、釣り関連」は19軒のうち13軒、「造船」は3軒全て、「内燃機関関連」は13軒、「木型」は2軒が東戎町にありました。
 この界隈で生まれ育った私は、朝早くから「ポンポンポン」というエンジン音を響かせ出漁する小さな漁船の喧騒には馴れ親しんでいました。
 

昭和39年 明石港と東戎町、船町界隈


平成29年 明石港と船町界隈

 わたしの家はこの地で大正時代から船用焼玉発動機を作っていました。子供のころ、たぶん5歳ぐらいと思いますが、明石港に着いた機帆船からエンジンを下ろし大八車で工場まで運び修理しました。何日か後、修理が終わるとまた機帆船に据え付け試運転航海となります。一部始終を見ていた私に船長さんが「僕も載せたろか」と声をかけてくれ、淡路島まで無事試運転航海は終わりました。
 そのころ明石港は生船と呼ばれる鮮魚運搬船がいっぱい入ってきていましたし、浜にある造船所もいつも生船を作っていましたが、いつの間にか鮮魚運搬はトラックになり、明石港で生船をみかけることはなくなりました。
 7年ほど前、明石港で綺麗な明石型生船を発見し驚きました、とっくに無くなっているものと思っていたからです。明石浦、瀬戸内の文化遺産ともいえる明石型と名付られた船はこの船だけと思います。全国に明石型生船のフアンがいて、この美しい船体の写真を撮っている方もいます。明石の人の記憶から消えていく貴重な生船について調べました。
 

明石型生船の進水式(昭和16年)遠景は淡路島