「明石型生船」の動力 焼玉発動機

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 明治生まれの「明石型生船」の動力は昭和30年頃までは、焼玉発動機でした。そのせいか明石は焼玉発動機の工場が多く、中でも木下鉄工所(現阪神内燃機工業)は大正3年全国第二位の生産高を誇っていました。昭和2年には日本漁船発動機協会が設立され、昭和6年と11年には神戸で総会が開かれています。明石、神戸の発動機メーカーはその主要メンバーでした。
 

昭和11年 神戸商工会議所での総会記念写真

 明石港の西側一帯「船町」「材木町」「東戎町」には焼玉発動機メーカーが沢山集まっていました。昭和9年の明石商工名鑑によると市内に内燃機関工場が12か所ありそのうち9か所はこの地域に集まっていました。
 
内燃機関工場
会社名所在地営業形態
1(株)明石発動機工作所(弊社)東戎町陸舶用発動機製作・修繕
2岩永鉄工所船町小型発動機修繕
3魚住鉄工所船町小型発動機修繕
4大野鉄工所船町小型発動機修繕
5林鉄工所東戎町小型発動機製作・修繕
6木下電気工業所材木町発動機部品、マグネット修繕
7人丸鉄工所船町小型発動機製作・修繕
8播州工作所東戎町小型発動機製作・修繕
9山名鉄工所一番町陸舶用発動機製作、圧縮酸素
10石村鉄工所桜町小型発動機製作・修繕
11木下鉄工所錦江町陸舶用重油発動機製作
12高橋鉄工所相生町小型発動機製作・修繕

 

 
 大正4年に材木町に創立されたきしろ発動機は、大正10年明石郡林崎村に大工場を造り移転しました。木下鉄工所とともに明石発動機界の双璧と称されていました。私が6歳ぐらいの時、創業者の祖父と行った林崎の「きしろ発動機」で大砲を作っていたという長さ20mの旋盤をみて度肝をぬかれました。
 弊社では昭和35年頃まで機帆船と呼ばれる木造の貨物船用の発動機を作っていました。戦前は北朝鮮へも販売していたという話を聞きました、これは生船向けかもしれません。
 

上は昭和15年の弊社の広告写真


大正時代の明石港船町、東戎町 上弊社(明石発動機工作所)と海岸沿いに明石型生船を作った小杉造船所

 現在、生船研究会は、明石の産業遺産「明石型生船」を残すために、大型木造船の造船工程写真、焼玉発動機の機帆船動画や製造工程写真、淡路島の生船流通の記録及び船大工さんを始め関係者からの聞き取り調査など、貴重な資料の収集や聞き取り調査を行っています。