僅か前方に傾けたミヨシの先端からから流れ落ちブリッジ下辺で最低点となり再度艫まで少しづつせり上がる。現在このように見事なシアーを持つ船に出くわすことはまずない。
明石型がこのシアーを持つに至った理由、それは簡単だ。生簀の孔だらけの船体に生きた魚をたらふく抱え、北東季節風が荒れ狂う朝鮮海域、玄界灘を乗り切らねばならなかった。
玄界灘を職場とする税関監視艇(19~27m型)の船長を務めた友人がいる。彼いわく「玄界灘では30度以上のヒール(傾斜)はいつものこと」また、私自身対馬、釜山へフェリーで行ったことがある。どちらもまだ9月中旬だったが、九州郵船の2,000トン級フェリーは壱岐を出たころから、天気は悪くないのにピッチングとローリング。博多湾を出たころ盛んにおしゃべりをしていた若者、お年寄りすべてが背を丸くして寝込んでいた。
明石型の話に戻る。玄界灘の風波浪を乗り切ると、早鞆、釣島、来島、船折、鼻栗、明石海峡など日本近海で最も潮流の激しい瀬戸・海峡が明石型を待ち構えている。どの瀬戸・水道を通過したのだろうか。いずれを選んでも慎重に潮を読みつつ大阪雑喉場市場へと至る。
中部さんの新生丸以来、平成の第十一盛漁丸に至るまで改良を重ね出来上がったシアーなのだろう。このシアーと頼りになる機関があったればこそなし得た技といえる。