3 生船研究会の意義

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 明石型生船は、魚棚の中部翁が朝鮮海域で獲った魚を生きたまま大阪まで運搬するという当時としては奇想天外な発想を実現するフネとして産声を上げた。玄界灘、瀬戸内の強烈な風潮流により強い個性を付与され、日本に冠たる鮮魚運般船へと成長した。そして、魚棚商店街の林兼商店を世界の大洋漁業にまでのし上げ、安価で新鮮な魚を口にすることを実現したのみならず、明石にとどまらず、日本をより豊かにすることに貢献した。
 生船研究会に入れていただくまで、明石生まれ明石育ちのフネ好きの私でさえ、明石型生船のことをほとんど知らなかった。いわんや一般の方々はまったくと言っていいほど知らないであろう。
 大正期に明石、淡路に優れた造船技術・発動機製造技術が存在し、明石型という独自の船型性能を有する鮮魚運搬船が造られた。それは「明石型」という名を冠し、玄界灘、瀬戸内を縦横無尽に走り回り、その結果日本の漁業にとどまらず産業全般にわたる発展に貢献をした。明石市民としてこのことを大いに誇りとするのは私一人ではないはず。
 これらの事実を後世に伝えなくて何とするか。明石型生船を知る人々が高齢化する今、生船研究会が果たす役割が極めて大であることを切に感じる。