1903(明治36)年3月、大阪天王寺公園で開かれた第5回内国勧業博覧会に冷蔵庫、ガスエンジン、石油エンジンなど欧米の珍しい新製品が出品された。川筋を航走する発動機付き巡行船を見た中部幾次郎が生魚運搬船に石油発動機を据え付けようと思いたった時、木下吉左衛門は石油発動機そのものを造ろうと思いついたのであった。2年後の1905(明治38)年5月1日、吉左衛門は明石郡明石町桜町に約100坪、従業員60名の発動機専門工場である木下鐵工所を創業、ユニオン型石油発動機、クロスレー型吸入ガス機関の製造販売に着手した。作家の稲垣足穂が書いた随筆『明石』(※6)にはその頃の木下鐵工所の工場の様子が描かれている。
1907(明治40)年11月に長崎で開かれた第2回関西九州府県連合水産共進会に20馬力舶用ユニオン型石油発動機を出品した。以降、積極的に各地の博覧会、共進会の製品を出品し木下製石油発動機の宣伝に努めた。明治40年頃に発行されたとされる『船舶用最新式石油発動機』カタログ(※7)写真HK269には既に133台の販売実績がリストアップされている。このリストに掲載されている木下式石油発動機を搭載した船舶のうち生魚運搬船は、合ノ子形生魚運搬船が16隻、日本形生魚運搬船が2隻の全部で18隻である。それらの地域別出荷先は下記の通りである。これらは生魚運搬船にまだ明石型と名付けられていない時代のものであるが合ノ子形と日本形とには分類はされている。
合ノ子形
大阪府泉南郡岸和田 奥野正一 寶庫丸 10馬力
大阪府泉南郡淡輪村 川島徳蔵 朝日丸 10馬力
大阪府堺市 喰鹿善四郎 壽光丸 12馬力
大阪府西区江戸堀 坂上新次郎 15馬力
大阪府西区靭南通 内外水産會社 春日丸 15馬力
京都府加佐郡東大浦村 水上増太郎 丹後丸 25馬力
兵庫県明石郡明石町 神出鐵蔵 第一明社丸 20馬力
兵庫県明石郡明石町 神出鐵蔵 第四明社丸 25馬力
兵庫県明石郡明石町 神出鐵蔵 第五明社丸 20馬力 カタログに写真あり
兵庫県明石郡明石町 中谷甚右衛門 天長丸 15馬力
徳島県海部郡牟岐浦 平野常太郎 第一平昇丸 12馬力
徳島県海部郡牟岐浦 平野常太郎 第二平昇丸 15馬力
徳島県海部郡牟岐浦 米澤庄三郎 氏榮丸 15馬力
徳島県海部郡牟岐浦 米澤庄三郎 勇沖丸 15馬力
徳島県海部郡由岐浦 谷澤甚治 金毘羅丸 15馬力
徳島県海部郡鞆浦 三浦久太郎 榮丸 13馬力
日本形
徳島県徳島市八百屋町 徳島巡航會社 徳島丸 8馬力
長崎県北松浦郡相浦 田中兼次郎 いろは丸 6馬力
幾次郎と吉左衛門はどちらも明石生れ同郷の友人ではあるが、林兼商店の生魚運搬船には木下製発動機は搭載されていない。わが国の石油発動機メーカーの中でいち早く1910(明治43)年にボリンダー型石油発動機の開発に成功した神戸発動機製作所(現:ジャパンエンジン)が林兼商店所有船の搭載エンジンとなっていった(※8)。木下鐵工所は神戸発動機に遅れること約3年の1913(大正2)年にはボリンダー型石油発動機の製作を開始した。