7.明石の生魚運搬業者

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 明石における生魚運搬業者についての実態はよく分からない。昭和4年版の『明石商工名鑑』(※15)に生魚運搬業として掲載されているのは下記7事業者である。
  神出岩三郎(明石市東戎町)、桝本市兵衛(明石市東戎町)、角谷友蔵(明石市東戎町)、桝本貞二(明石市東戎町)、合資会社河銀商店(明石市東戎町)、合名会社亀磯商店(明石市東戎町)、河合鶴松(明石市三番町) 以上のうち桝本市兵衛または桝本貞二のいずれかが、現在、外航海運業を営んでいる桝本海運産業株式会社(明石市中崎桝本守生社長)に連なっている。桝本海運産業とは貨物船‘大展丸’に阪神内燃機工業のZ6YBSH型ディーゼルエンジン1300馬力が搭載されその関係が続いていた。
 木下鐵工所『焼玉機関販売台帳(大正14~昭和24)』による明石市在住の船主リスト
  井筒源蔵(明石市)    第11久吉丸  2GB-135型70馬力(大正15年)
  神足清次(明石市林崎村) 第2救青丸   原12号13馬力(大正15年9月)
  井筒源蔵(明石市戎町)  第2神勢丸   1GB-28型20馬力(大正15年9月)
  神出鉄蔵(明石市戎町)  船名不明   2GB-28型40馬力(大正15年)
  菊地徳次郎(明石市東魚町)第2有庄丸   2GB-25型30馬力(昭和2年1月)
  津田菊次郎(明石市)   第1昭和丸   中古30馬力(昭和2年5月)
  塩谷幸次郎(明石市)   第1天神丸   中古30馬力(昭和2年3月)
  菊地徳次郎(明石市)   第1有庄丸   形式不明30馬力(昭和3年2月)
  水田清次郎(明石市)   天神丸    木下製中古25馬力(昭和3年3月)
  津田種蔵(明石市)    船名不明   東神製中古25馬力(昭和3年3月)
  井筒源蔵(明石市)    船名不明   形式不明20馬力(昭和3年4月)
  塩谷幸次郎(明石市)   船名不明   今藤製中古25馬力(昭和3年7月)
  津田菊次郎(明石市)   船名不明   池貝製中古30馬力(昭和3年)
  津田種蔵(明石市仲之町) 第3昭和丸   中古30馬力(昭和3年12月)
  津田種蔵(明石市)    船名不明   藤島製中古35馬力(昭和4年1月)
  柏木利三郎(明石市大蔵谷)兵電丸    木下製中古35馬力(昭和4年4月)
  山本三太郎(明石市東仲ノ町)山兄丸   木下製中古25馬力(昭和4年5月)
  橘源太郎(明石市江ケ島) 船名不明   中古25馬力(昭和4年9月)
  亀磯商店(明石市戎町1183)第2漁進丸   形式不明90馬力(昭和5年5月)
  柏木理一郎(明石市大蔵谷)第7兵電丸   2GB-2530馬力(昭和6年6月)
  菊地徳次郎(明石市東魚町)船名不明   2GB-2840馬力(昭和7年8月)
  堀江純平(明石市人丸町) 船名不明   1GB-96馬力(昭和8年8月)
  亀磯商店(明石市東戎町) 第2日進丸   形式不明70馬力(昭和9年9月)
  亀磯商店(明石市東戎町) 第2日進丸   形式不明70馬力(昭和9年9月)
 上記リストに出て来る菊地徳次郎は「有庄」の屋号で知られる東魚町の生魚問屋の菊地である。日本初の発動機船第一新生丸の資金を融通した富豪だったと言われている(※16)。ほかに馬力の大きい焼玉エンジンを採用している合名会社亀磯商店(明石市東戎町)は中部幾次郎が進出した朝鮮方漁津にも出張所を設けている。鮮魚運搬のほか鮮魚漁、鮮魚販売も行っていた。亀磯商店、菊地徳次郎以外の個人船主が鮮魚運搬船の船主かどうかはさらに調査が必要である。昭和9年以降から終戦までは明石在住の船主からの焼玉エンジン注文は入っていない。これは焼玉エンジンの大型化とディーゼルエンジンへの移行があり、木下鐵工所が相手とする船主の層が変化して行き、比較的小規模の明石在住の船主さんからの小型焼玉エンジンの注文は途絶えたとものと思われる。それらは明石発動機工作所をはじめとする他の発動機メーカーに注文が行っていたのではないかと推測する。木下鐵工所の『焼玉機関販売台帳』によると焼玉エンジンの出荷先は全国にわたっているが北海道、東北方面、長崎県、それに朝鮮半島に数多く出荷されている。しかし販売先船主の業種が特定されておらずどの程度生魚運搬船に搭載されたかどうかは不明で今後の調査に委ねることとする。