3.漁船への発動機搭載の歴史(1)

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1860年(B01) 仏ルノワールが吸入瓦斯機関を発明。
1885年(M18) 英プリーストマンが石油発動機を発明。
1886年(M19) 英アクロイドが焼玉機関を発明。
1893年(M26) 独ディーゼルがディーゼル機関を発明。
1897年(M30) 中部幾次郎は汽船淡路丸を借入れて、鮮魚を押送船で大阪雑魚場へ運び膨大な利益を生む。
1903年(M36) 第5回内国勧業博覧会で欧米の瓦斯機関、石油発動機、発動機付西洋型船の模型などを展示、巡行船も往来。これを見た
     …中部幾次郎は発動機船建造に
     …木下吉左衛門は発動機製作に
動き出す。二人の共通点は大阪谷町の牧田鉄工所、中部幾次郎は発動機を発注し、木下吉左衛門はすでに客人として修業中であった。
1904年(M37) 清水丸屋文七が鰹漁船“千鳥丸”に国産陸用発動機を搭載したが故障続きで断念。(8GT 5PSx2台)
1905年(M38) 木下吉左衛門が木下鐵工所を創業、ユニオン型石油発動機・クロスレー吸入瓦斯機関製造に着手。
中部幾次郎は明石に林兼商店を設立。
1906年(M39) 中部幾次郎の発動機付鮮魚運搬船“第一新生丸”が明石の小杉造船所で竣工。船型は幾次郎が10年近く思い描いていた汽船と和船の合いの子の様な船型であった。(12GT 牧田鐵工所下請けの清水鐵工所製石油発動機 8PS)据付は大阪木津川の金指造船所。逓信省に「帆船補助機関第一新生丸」として届け出るも取扱い規定が無いとして1年間様子を見ることになった。
 

 
後日、発動機の特許取得を進められたが幾次郎は業界の発展のためその必要は無いと断った。
同年、静岡水産試験場の日本初の発動機付漁船“冨士丸”が三重県の市川造船所で竣工。(西洋型25GT米国製ユニオン式石油発動機18PS)造船所では発動機が起動せず隅田川まで帆走して、一銭蒸気の成田機関士がカムギアの組付間違いに気づいて運転出来た。
 

 
冨士丸の影響
 漁労実績が良好で全国の漁船の動力化が一斉に始まった。ただし、石油発動機は燃料の灯油が高いため、より経済的な軽油、重油が使用できる焼玉機関やディーゼル機関の導入への動機付けとなった。船型でも動揺が激しいという漁師の評価から改良和船型に発動機を搭載する和洋折衷型「合の子船」の導入となった。