4.漁船への発動機搭載の歴史(2)

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1907年(M40) 中部幾次郎は日本海側の舞鶴方面へ第一新生丸で進出。時化の中下関から7日で舞鶴港へ入港。鰤と鰈で好成績をあげ朝鮮行きを決断し、下関へ戻らず美保関から北上、対馬経由で釜山へ乗り込み鱧を買い付けた。日本水産界初の朝鮮進出であった。
この頃、幾次郎は第一新生丸を運航していて改良を思いついた。船尾を西洋型にして中央を和船型するような設計図を書いて大阪の金指造船所に発注、出来ないと断られたが交渉を重ねて結局造らせた。これが「明石型」と呼ばれ、農林省制定の鮮魚運搬船の標準船型となった。
1910年(M43) 第二新生丸(25GT 有水型焼玉機関馬力不明)竣工。
1912年(M45) 神戸発動機製作所は日本最初の有水型焼玉機関20PSを造り紀州の金生丸に据え明石海岸で試運転を行った。これを見学した中部幾次郎は朝鮮行きの生船に入れようと神戸発動機製改良有水型焼玉機関を3台注文して、第一新生丸に2台(石油発動機⇒吸入瓦斯機関⇒有水型焼玉機関 20PSx2台)、第三新生丸に1台据付けた。直ちに幾次郎は誰も試みなかった60PSを発注し第五新生丸に、続いて80PSを海洋丸に据付け成功した。
1913年(T02) 中部幾次郎、林兼商店本店を下関で構築。
木下鐵工所はボリンダー型注水式焼玉機関を製作。
1915年(T04) 第十一新生丸、第十二新生丸、第十三新生丸、第二十三新生丸が朝鮮方面で活躍する。
1918年(T07) 阪神鐵工所創業。
同年、中部幾次郎は下関彦島に林兼造船鐵工所を設立し、ボリンダー社無水式焼玉機関を輸入して神戸発動機製作所と研究開始した。この年、重油使用の無水式焼玉機関の特許を取得するも、数年後に「世間の為になるならば・・」と特許を開放した。
1919年(T08) 水産局北水丸に新潟鐵工所がスウェーデンから研究用に輸入したポーラー型ディーゼル機関50PSを据付け、漁船のディーゼル化のはじめとなった。同時期に焼津の第一大洋丸57GTに新潟鐵工所製ポーラー型4気筒ディーゼル機関100PSを据付けた。
1920年(T09) 三重県水産試験場五十鈴丸35GTに新潟鐵工所製ディーゼル機関50PSを搭載し8.25ノットで航走。
1924年(T13) 動力漁船10,467隻、総出力211,906馬力漁船の動力化が一機に進む。
中部幾次郎は下関において、個人経営事業だった林兼商店、林兼漁業、林兼冷蔵をからそれぞれ株式会社とした。