図1 濱口・日野家略家系図
濱口実右衛門(じつえもん=政太郎)が一族の中では一番早くから小出買船(こでがいせん=活魚運搬業)を創業した。明石の林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身)の創業者の中部幾次郎と濱口実右衛門は出買仲間で親交があった。実右衛門の弟である好(よしみ)が昭和11年(1936年)頃に富島水産(株)を創立した。
当時は統制時代に入る段階で、富島にいる生船業者を株主にし、所持していた船を全て出資金代わりに集めて会社を創立した。(その資料は存在する)実右衛門(徳太郎)の妻なつは日野嘉右衛門(かえもん)家の出身で、なつの弟にあたる日野嘉右衛門(吉蔵)がマルカ住吉丸で、古くから生船を行っていた。その弟、春義は戦前嘉右衛門(吉蔵)の事業を手伝い朝鮮に渡り、戦後は帰国後独立しカネカ住吉丸を経営していた。嘉右衛門(吉蔵)の一番下の妹梅之は、日野顯徳に嫁ぎこの二人の長男として日野賀生が誕生した。日野春義の息子で逸夫の嫁宮子は、実右衛門(徳太郎)の娘である。