日野賀生の生船体験

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 入社直後から乗船する予定であったが、当時祖父は入院しており状態も思わしくなく、乗船を見合わせ、魚を毎日神戸から大阪に輸送(トラック)する作業を手伝っていた。
昭和40年(1965年)5月から10月頃までの約半年間、第一住吉丸に乗船、初航海は5月14日淡路島富島港を出港し、五島・天草廻りで20日に神戸港で水揚げした。同年6月7日から14日の天草からの積荷は、蛸3,015㎏、はも1,535㎏、紋甲いか240㎏、たい720㎏であった。
 大阪市中央卸売市場には、昭和40年7月18日に一度だけ安治川を上って水揚げを行った。
大日水産(株)所有船で大阪に入港したのは、この時が最後であった。最後になった理由は、昭和40年以前より公害で大阪湾や安治川の水質がかなり悪化していたこと、道路事情も良くなり、船を兵庫港岸壁に着岸させ、荷割表に基づき神戸に降ろした後、大阪・京都へトラック便での輸送体制が整っていた。
 大阪に水揚げした時は、たい・はも・蛸等の活魚を積んでいたが、大阪市中央卸売市場は安治川の上流にあるため海から上っていくと、真水の割合がどんどんと多くなってくる。たい・はもの入っている魚艙は真水が混ざらない海域で栓を埋めて、左右のデッキも栓を埋め海水と氷を入れる。はもはポンプで海水をくみだしながらハモ〆(小型の包丁)で首を刺し左右のデッキにいれる。たいもポンプで海水を汲み出しながら、1尾ずつ手鉤で目の上を刺し上棚に置く。
 終わると安治川を上りながら真水と海水の混ざり具合を船長が柄杓で掬い、海水を舌で味見して海水と真水のバランスをみて木栓を差すタイミングを図る。船長の号令で乗組員が一斉に生間(いけま)に飛び込み、長方形の栓で栓口を埋めていった。昔の20~30トン級船舶の生間であれば背が足りていたが、私が乗り込んでいた船舶は50トンの船で生間の水深が深くなっており、背が届かなくなっていた。
 そのため栓をするのに息が苦しく大変だった。また、蛸が元気で生間の巣の中にいる時はいいが、生間内の真水が多くなってくると蛸が泳ぎ始め最後に下に落ちて来る。蛸が栓口に挟まると栓をすることができないので、それを足で押し分け続けて手に持った栓をしなければならなかった。栓をする作業は潜って行う為、一発で成功しないと何度も潜ることになる。上手くいかないと時間がかかり、蛸の鮮度が落ちる、目方は増えるが、価格が安くなる。水バネ板は、荷積み航行中は設置して航行が終わると外していた。はめ込み式で栓で止めていた。荷積み航行中設置しているのは、水の横揺れにより、船の横揺れを少なくするためで、荒天の時はこれがないと船が横転する危険がある(図2は生間横断面略図で生間内部の詳細な構造が分かる)。こうして堂島川入口の中央卸売市場前に接岸荷揚げした。当時岸壁が沈下したのでかさ上げされ、手で荷揚げしにくい為クレーンが設置されていた。
 

図2 明石型生船 生間横断面略図(平成16年2月8日 日野逸夫氏作成)

 後に栓をどうにか改善しなければと思い、かつお釣り漁船で餌のいわしをいかに殺さず漁場まで運ぶ方法として採用していた自動式開閉弁の活用へと繋がっていった。図3の『焼津市史図説・年表189頁』2008.3には「カツオ一本釣漁船第12東洋丸の船底換水口に乗組員が入って木栓をする様子についてのイラストが掲載されている。」ので参考になる。
 

図3 イラスト カツオ一本釣り漁船 (『焼津市史 図説・年表』掲載 外立ますみ氏作成)

 昭和40年(1965年)夏、天草行き途中で台風に遭遇し、有明海湯島の島影で通過するのを待った。投錨したか記憶はないが、風圧を少なくする為大間、ニの間の栓を抜き喫水を下げ、常に船首を風上に向けた態勢を維持し、流されない程度に前進、停船を繰り返し、夜明けまで過ごした。時間の長さ、木造船で波を乗り越える度に軋む音は怖かった。
 昭和43年(1968年)正月、鹿児島大隅半島大泊港より薩摩半島山川港を夜間移動中時化に遭い、全長15mの第22住吉丸が直立しないかと思うほど揺れ、恐怖を覚えた。
 昭和46年(1971年)8月、西伊豆戸田港より淡路島富島港までカツオ一本釣り漁船の回航に乗船した。紀伊水道から淡路島東側を通過中、天候は良かったが航行船舶の多さに驚き、衝突の危険を感じた。
 
日野賀生(ひのよしお)
略歴
 昭和17年(1942年)兵庫県淡路島の富島生まれ。
 昭和29年(1954年)4月、小学校6年生より神戸へ移住。
 甲南中学校、甲南高校、甲南大学に進学し、昭和40年(1965年)3月に卒業。
 昭和40年(1965年)4月大日水産(株)に入社し、活魚運搬・養殖漁業の業務に従事。
 昭和63年(1988年)7月より代表取締役社長
 元全国かん水養魚協会(現(社)全国海水養魚協会)副会長
 元兵庫養殖漁業生産組合長
 生船乗船経験約6ヶ月