換水口の技術革新

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 昭和50年代前半、生船の特徴である生間と海との間にあった換水口に最新技術が導入された。それまでは乗組員が直接に生間に飛び込んで木栓を鎖していたが、冬は寒く辛いので生間に潜らず栓をできるように、栓を掴んで入れ込むためのツカミと呼ばれる長さ1,8mの金属製の器具で行っていたが、真下(底栓)はできるが横(横栓)のものはやりにくかった。(栓を外す道具には長さ1,8m木製の柄がついた金槌で木栓を直接叩いて外していた)このような栓をさすのに苦労した経験があったことからどうにかできないかと考えた。当時、かつお釣り漁船で餌のいわしをいかに殺さず漁場まで運ぶ方法として採用されていたエアー自動開閉弁を作っていた三重県北牟婁郡海山町のモリヨシ株式会社を日野賀生さんが見つけて相談したのが最初である。つまり鰹船用の丸型ものを生船に転用したので換水口も長方形から丸型に変わった。だから長方形と丸形の孔が共存している船はない。HN241~HN250の見積書、注文書、領収書などを見ると大正丸(100t)の大型生船でシーガル巣という名前で底孔と横孔を合わせて130台が取り付けられていたことがわかる。価格は付属品と合わせて825万円と高額のものであった。
 しかし当初はステンレスできていて重くて価格も高かった。また海水と接する外側が錆びてくる難点があった。そこで大阪魚市場株式会社の社長の弟が、リグナイトというプラスチック製品を作る会社に勤めていたので錆びず、軽くできるのでプラスチック製に変えた。エアーの蓋も元はステンレスで出来ていて100か所単位で付けると、とても重かった。操作はブリッジにある操作盤HN112にあるスイッチで開閉はエアーで行えるようになり、バルブの数で開閉場所ごとに指定して開閉できた。富島の主要な生船は昭和30年代中頃から昭和40年代中頃に廃止していることから、丸形換水口でエアー自動開閉弁を使っている船は大日水産(株)富島造船所製の船だけであった。