志田修二について

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 昭和18年(1943年)兵庫県淡路島の浅野生まれ、現在75歳。日野顯徳氏、日野賀生さんとは遠縁にあたる。子供の頃にはよく富島造船所に遊びに行っていた。もともと農家であったが、イカナゴやイワシなどの水産加工も行っていた。昭和27年(1952年)父親が他界し水産加工業も振るわなくなってきたので、兄と大阪に出て建築関係の仕事に就職していた。その後、また淡路に戻って水産関係の仕事や線香製造の仕事をしていた。漁業関係の仕事は直接していないが船が好きで大型レジャーボートを持っている。瀬戸内海の航路や潮流については精通している。昭和24(1949年)・25年(1950年)頃、富島の生船がイワシの大きいのやアジを積んできて来たので、開いて地元の魚屋で売っていた。
 今回は志田修二氏からの聞取り調査は実施できなかったが、淡路・明石地域の水産物の加工の歴史について詳しい方であり、将来できれば詳細な聞取り調査を行いたい方である。