富島からは明石海峡を挟み明石市西部を見ることができるが、明石港からは淡路の山影があり富島は見ることが難しい。戦時中に明石西部の川崎航空機明石工場が空襲にあった時には明石が炎上しているのが見えた。天気のいい日は姫路市の家島諸島や遠く小豆島の島影が見ることができた。なお、明石港と富島港間には西淡路ライン(淡路ジェノバラインが継承)の旅客航路があったが平成20年(2008年)に航路休止している。造船所があった場所は阪神淡路大震災によって使えなくなり、土地は土地区画整理のために全て売り払ってしまった。現在は震災復興住宅(アパート)が建設され、砂浜は埋め立て地になっているが、大崎造船所のドッグと赤色に塗装された塔型クレーンのみが残っている。大崎造船所には船を引き上げるためのレールが3本引いてあった。
富島造船所があったのは富島港東突堤隅の砂浜で、1,000坪ほど広さがあり、事務所、倉庫、機関部工場、製材工場(なかに目立場)などがあり、突堤の隅から船を引き上げるためのレールが2本引いてあった。周辺には、一番西から阿部造船所、大崎造船所、そして富島造船所と3つの造船所が並んでいた。裏山にも樹木は生えていたが、造船に使えるような素材ではなかった。HN095・HN096は昭和56年(1981年)の富島港の風景で富島造船所のクレーンが見える。