船大工・大崎進さんの一日

106 ~ 106 / 306ページ
 自宅は、大崎造船所から100m位の場所にあったので徒歩で毎日通っていた。富島造船所時代は500m位と少し遠くなったので自転車で通うようになった。大崎造船所時代は朝の6時半頃に起床し朝食を食べ、出勤後すぐに作業に入っていた。夜は暗くなるまで制限なしで作業をしており、夏の日が沈むのが遅い時期は夜の19時30分までで、道具をしまう時には電気をつけていた。大体12~13時間ほどの作業時間だった。富島造船所になってからは定時制で8時~17時の作業時間であった。出勤簿のようなものは当初あったものの、誰も記入しなかったので後になくなってしまった。ただ事務を担当していた大崎進氏の姉が把握して管理をしていた。作業日誌などもつけていなかった。休憩時間は12~13時の1時間で家が近いため、お昼を食べに一度帰宅していた。ただそれ以外の休憩時間はなかった。仕事が終わり帰宅後はお風呂に入り、晩酌をして21時頃には就寝していた。
 大崎造船所の時は毎月1日と15日が休日で、富島造船所からは毎月1日と15日、日曜日が休みになった。ただ繁忙期は作業をすることもあった。1年の内にはまとまって休みになる時もあり、お正月とお盆は4日ずつ休暇を取っていた。そのため仕事始めは1月5日からだった。雨天の日は、船の作業場が雨避けの覆いがない屋外のため、製材所(屋根のある場所)で部品を作っていた。刃物は毎日研いでいたが、欅など固い素材を扱うときは更によく研ぎを行っていた。船大工時代は1日20本ほどピースの缶入りタバコを、仕事をしながらくわえていた。職人には吸う人が多く、吸いながら頭で作業工程を考え作業していた。食べ物はなんでも好きで、嫌いなものはない。近くの漁師さんとも交流があり海苔の時期には海苔といった、旬なものをもらっていた。富島造船所にきてからは魚を買う事がなくなった。お酒もよく飲み、仕事後に友人一緒に飲むときは合わせて1升5合ぐらい飲んだが、それぐらいでは酔わなかった。銘柄は色々飲んでいたが、淡路のほとんどの人は伏見の月桂冠を飲んでいた。1人で飲むと1升は三日ぐらいで、仕事をやめてからは二日でなくなっていた。