ハモなわ漁

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 漁期は4月~9月迄。餌は活き餌、ゼンゴあじ又は小あじが必要である。死んだ餌には絶対喰いつかない、大潮時13日~3日間休漁となる。(13日、14日、15日、1日、2日、3日)従って大潮の休漁日が存在するので、消費市場では価格がとても乱高下する。
 ハモはすぐに噛み付くので、扱いが難しい。漁船から買取検量時には、細長い竹かごに一匹づつ、つかみ取ってかごに入れて検量する。生簀は木製箱型の蛸団平に入れる、ハモは生簀内でえさのゼンゴあじ等をよくはきだす。これは、ハモのストレスだと考えられている。ハモは、粗魚(あらうお)でも活船に積み込みができる。ハモの活えさは、別のハモ活えさ採取業者がいる。活餌採取業者は、近辺の水深5m前後の藻で4名位で小型地引網で捕獲する。漁獲した時は、人手でアジに直接ふれてはいけない。アジの皮膚が炎症をおこして死ぬ。木桶かバケツで海水のまますくい取って移す。小あじ類は元来弱いので、当日採取した。餌を当日夕方積み込んで、ハモなわ船は出漁し、翌朝帰港する。ハモ生簀団平より活漁船に積み込む時は、生簀団平をクレーンウィンチで30cm位までまきあげる、特殊なハモすくい(タマ)が必要である。即ち直径2mm位の太糸で節目1cm位の網を特別に賃料を支払って手編みしてもらう。
 網の目を小さくしないと、ハモの口先の歯がひっかるのを防ぐためである。袋編み状の長さは1m~1,2m位必要である。大きなタモを操って、すくい(タモ)の中にすくい取る。生簀団平の四隅がすくいとりやすい。すくいタモの鉄丸輪は直径60cm位で、鉄丸輪にY字型に細いロープを取り付けて、もう一名がすくい取りの引っ張り役をする、すくいタモを二人がかりで、船上に引き揚げ、活魚槽口に運び、すくタモの筒状の底部を持ち上げると、ハモは活魚槽内にすべりおちる。ハモのソグリ(撰別はほとんどしない)自然死(上り)したものだけ、取り除きそれを捨てる。
 運搬中はハモは、蛸のように、自己占有欲はないので、ハモ同志の争いはなく、船底部に折り重なって沈下している。泳ぎまわらない。大阪港外でハモをしめる(シメル)場合は、鯛等と違って午後8時頃からしめてもよい。ハモをしめる時は、活間の閉栓をして、ポンプで水深1m位まで海水を排出しポンプを停止する。特別に手作りした網手袋をつけて、ハモの胸ビレの後約1cm~2cmの場所を親指、人指さし指のつめをたてて、つかむ(その場所にハモの肝臓の先端部があり、そこを捕まれるとハモは大人しくなる)すばやくハモしめ包丁をえら内にさしこみ、活間の隔壁に打ちつけて首の骨を切断する。しめたハモは、ハネ張り内に投げ込む、しめ作業が進行すると、海水がハモの血で濁るので、ポンプで排水しながら、栓を1ヶ所開口して外の海水を入れて活間の濁った海水を浄化する。更に、水深50cm位までポンプで排水し、残りのハモを全部しめてしまう。終わったら砕氷と角氷を入れて、冷却し、ハネ張り内のシメハモを活間底に落とし冷却する。
 ハモと蛸の浜買価は、ほぼ同額である。ハモは蛸よりも多く積める。目切は、粗魚積みで普通20%、翌日積みで目切30%天草ハモは長距離となるので目切40%。生産地は、戦前から昭和35年頃まで、その後、急速に廃業に到った。山口県東部、光市、上関町、大島郡が成漁であった。