蛸漁は、夏ダコが盛漁期である。蛸漁は4月初旬から始まるが、漁の初期は400gから500gの水ダコが多い。この蛸は、5月になって雨期になると、エサを大量に採ってどんどん太る、一汐毎にも太っていく。梅雨明け時期、7月中旬ころには約800g位に成長する。
7月2日頃が半夏至である。大阪では、半夏至頃には蛸を食べる習慣が伝っている。筆者の記録によれば、半夏至の入荷量は4万kg(9,000貫)位、毎年販売されていた。夏祭り月は、蛸も多くの需要があった。鯛、ハモ、蛸の販売が順調に行くのは、7月17日の京都祇園祭までである。その頃は、梅雨末期となる。梅雨明けともなると、それまで雨で山立が(交叉方位法による漁場位置特定)できなくて止むおえず、休漁している。これを雨時化という。
梅雨明け直後、休漁漁船が一斉に出漁し漁獲量が急に大漁となる。7月25日天神祭、8月1日住吉祭の時期には、大漁入荷によって市況は、大きく暴落する。活船側にとっては、欠損が続出する好まれない時期である。買付浜の値立会においては、値下げが追いつかない程、市況の値下がりが大きくなる。特に8月前半は漁獲量は減らないのに、祭月後で需要は少なく欠損期である。
お盆の大阪市場休市日が約3日間程ある。その休市明け直後が大阪市場売り前(よく売れる日、多量、高値)で大量に販売する。この盆明け後の売り前の利益で、8月前半の欠損を穴埋めが出来る。梅雨明け後より、蛸が大量に取れて、蛸団平が各浜が満杯となる。一日の運搬能力6,000kgに対し、買取り数量10,000kgを超える。常時蛸団平、在庫は2万kgにもなる。そうなると、各浜、当日買受け分のカラ団平が不足する状態にまで追い込まれる。翌日分の買取り用のカラ団平を各浜、予定表を作成し、各浜に於いて、当日のカラ団平の確保に懸命の努力を続けた。その時期は台風の日本接近がとても希まれる。台風が接近してくると、当然と休漁となる。
その休漁の間に、大量の在庫する蛸を売りさばかなければならない。台風が発生すると、NHKラジオ第2放送を聞いて、天気図を手書きで記入作成した。自身で台風のコースを先読みして配船、積み込み量、各船の能力も勘案して計画を立て、実行しなければならない。台風が接近して、積込荷役が出来ない浜(高浪による)は前もって、積込を終了しておく。台風が最接近する、予測した日に上り航、出港船を決定するのがとても困難となる。即ち、途中で非難可能となる海域の想定が必要であるからである。
台風一過でやっと在庫が無くなって苦渋から解放される。8月末頃になると、二神島及び大島郡油宇方面では、蛸がほとんど獲れなくなるので、蛸壺の陸揚げが始まり、8月末ころには完了する。平群も9月に入ると、蛸の肉質がとてもやわらかく、水ダコのような感触となる。蛸そのものがほとんど抱卵している。活船側は買値を下げてもらっても、経費がとれる状態ではないので、早く蛸壺の陸揚げを要請するのであるが、同蛸壺の陸揚げが開始されるのは9月中旬となり、最終、終漁は9月末となる。